2009年7月6日月曜日

ここでは風が風であり、雨が雨のようである

菖蒲町のラベンダー見物の前に立ち寄ったのが、「ラブミー農場」です。流浪の生活を打ち切って、昭和40(1965)年11月から昭和62(1987)年8月に亡くなるまで、深沢七郎が住んだのが菖蒲町でした。プレスリーが大好きだったようで、「ラブミーテンダー」からとった命名のようです。
「ここでは風が風であり、雨が雨のようである」と開高健が言ったそうです。

このベニヤ板かなにかでの手作りに見える表札は、一体何年ぶら下がっているのでしょう、、、ここ3年ほどの間に年に1回ずつくらいしか見てはいませんが、雑草などもときどき刈り取られている様子で、荒れ放題にはなっていません。毎年、ちゃんと梅の花が咲いていたり、みかんのような果物が成っていたりしています(^^)
写真正面の建物の左に葡萄の木があります。葡萄棚の下で眠るように亡くなっていたそうです。
今は、隣になにかの工場があったり、通りの向かいにはミニ開発されたような住宅が何軒か建っていますが、昭和の頃には田畑以外にはなにもなかった場所だったのでしょうね。

(誤解と偏見の中に深沢七郎 http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/fukasawa_dennki.html を参考にしました)

2 件のコメント:

  1. トタンにスレート瓦、昭和40年代を彷彿とさせますね(^^)。この頃かな、土壁を道路でこねるのが禁止なのか、土壁そのものが禁止なのか、急速に減り、新建材の登場、使ってる柱の太さは細く、部屋が狭くなって行きます。最近は、風や雨は、高分子のシートで遮られ、完璧なまでに外界と遮断されていますが、柱が接着剤で固められた集積材に....どちらがいいのやら(^^;

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